知識と知恵
学校教育がゆとりから基礎・基本の徹底へと変わったと言われます。今まで,いつの時代にも,基礎・基本は徹底して指導してきているのですが,改めてクローズアップされてきました。
その背景には,子どもたち一人一人の学力の差が大きくなった,ということが挙げられると思います。家庭用ゲーム機の普及により,家庭学習の時間に大きな差が出てきているのです。また,テレビやゲーム等によって夜更かしするようになった子ども達は,十分な睡眠時間を確保できずに,すっきりしない頭で学校に通っているという現実もあります。
また,基礎・基本を徹底するために,総合的な学習の時間を削減しようという動きもあります。総合の時間を,他の教科の習熟に充てる学校も出てきているようです。
私は,教科の学習で身につける基礎的・基本的なことがらは「知識」だと思うのです。そして,教科等の学習で身につけた「知識」を,生活に生かすレベルまで高めた時,「知恵」と呼ばれるようになるのです。「知識」を「知恵」にまで高めるための時間が「総合的な学習の時間」なのではないでしょうか。
教科等の学習で,基礎的・基本的事項を身につけたあとは,いきてはたらく力にまで高めることが大切なのです。計算練習,漢字練習を十分に行い,力を身につけた子ども達は,考える余裕を持つことができるのです。考えることによって「知識」は「知恵」へと変化していくのです。
人間として,社会で生きていくためには,「知恵」が大切です。今の時代,機械の力を借りれば「知識」はすぐに手に入ります。子どもの今の姿ばかりに目を奪われないで,10年後,20年後の姿を思い描いて,学習指導に当たる余裕が欲しいと思っている今日この頃です。
知識と知恵について。全くその通りだと思います。知恵は,知識を文化または生活レベルまで高めていくことで生きて働くようになると思います。総合的な学習の時間で,何か体験すればよいと言うのはちょっと違うかなと思います。総合的な学習の時間は,知識のネットワークを作る時間だと思っています。その意味で,教科と総合的な学習の時間との関連を明確にすることが必要となってきます。
投稿: adaken | 2006-05-13 21:48
総合について,まったく同意します。
教科の学習で身につけた知識を,有機的に関連付けながら生かしていくことが,求められるのだと思います。
総合の時間に,英語の歌を歌うだけ,コンピュータでお絵かきするだけ,米を作って食べるだけ・・・。なんていう学校は,もうなくなりましたよね。(^_^;)
そのかわりに,総合とは名ばかりの,教科の補充に使う(それも教育委員会の指示で)ところも出てきているようなので,書いてみたのです。
もう少ししたら,総合的な学習の時間の追跡調査ができるようになりますよね。きちんと総合に取り組んだ学校と,そうでない学校の卒業生のその後。そんな調査はできないか・・・。
投稿: horry | 2006-05-13 22:17
総合的な学習の時間の追跡調査ですか。いろいろな因子が絡み合っていることから,難しいでしょうね。
島根では,教科の補充はまだ行われていないようです。特別活動をそのまま総合的な学習の時間に充てているところが多いです。
投稿: adaken | 2006-05-14 19:35